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日経おとなのOFF - 釈迦入門

2010/09/03

ある夏の日曜の夜7時。
駅前のスーパーで買い物してたら、大学時代の友人から1本メールが入った。

「近いうち飲もう」「今日しか空いてないんだけど今からはどう」「おk」
そんなやり取りで飲むことになった。

待ち合わせの中目黒まで電車で1時間弱。
サンダルに、スーパーの買い物袋の格好で向かった。

携帯の電池が切れて道中暇過ぎたので、キヨスクで適当に手に取った雑誌を買う。

釈迦入門
普段なら買わないんだけど。っていうか表紙怖いし。

ちょうど「怒らないこと」っていう上座部仏教のある僧侶が書いた新書を読んでて、仏教に触れてみたい時期だったんだと思う。

釈迦は身長4mとかいらない知識をゲットしたり。
微妙に日常生活で使えそうな瞑想法が書いてあったり。
誰が読んでも面白いページが1ページくらいは見つけることができるなじゃないかなっていう編集。良いね良いね。

でもこの表紙じゃ誰も買わくないかってやっぱり心配して、そんな誰も買わなさそうな雑誌を買うのって俺らしいなとか思ったり。

さて、そんなことは本当にどうでも良くて
最後に結論を書きますよ。

「超訳 釈迦の言葉」がヤバい

この一節がこの1ヶ月くらいずっと頭から離れないので、しょうがないので書いて忘れることにしました。

執着しなければ悲しみは生まれない
悲しみがあるのではない。
これは自分のものと執着したものが朽ちるから悲しむのだ。
持つとは何か。所有とは何か。
それは本当におまえのものであったためしがあったのか。
おまえは本当に持っていたのか。
持っていたはずなのに、変わり、ついには朽ち果てたではないか。
そのことを悲しむのか。
おまえさえ執着しなければ、その悲しみはなかったのに。

悲しみなんてなかったんですか!
自分の執着が悲しみをつくってたんすか・・マジっすか・・。
とため息をつかされました。

まあそうは言っても執着しないわけないんですよねえ。
でも人生のつらい局面局面で、効果的なというか、効き目のある考え方って
結局この執着する自分の気持ちとの距離のとり方だったような気がします。

当たってると思うんだけど、そんなこと言われてもアンタ・・・
っていう状態が、ここ一ヶ月くらい続いていたので、
そろそろ書いて終わりにしたいと思って、記事にさせて頂きました。

この「超訳 釈迦の言葉」は、「超訳 ニーチェの言葉」を編集した白取春彦氏編です。
参考まで。

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